「天目は、自然光で見るのが一番や。ちょっと、外へ出て見てみなさい」
そう木村さんに促され、光にあてて見た時の感動が今も忘れられずにいる。なんと色がいくつもあることだろう。見るほどに深みを帯び、引き込まれるような陶器が、手の中に納まっている。
陶器の絵付け師を父に持ち、4人兄弟の末っ子として五条坂に生まれた木村さん。生まれ持った環境や、陶芸家として活躍していた長男の盛和氏の影響から、自然に、陶芸の道に進む。釉薬について幅広く研究を重ねていた盛和氏に師事し、自らも釉薬に力を注いだ。
木村さんの作品が、天目一本へと移っていったのは、安宅コレクション(※現東洋陶磁美術館)の国宝、「油滴天目」を見たときの衝撃が元にある。
「ああ、世の中にこんな素晴らしいものがあるのかと、感動してね。ええもんは、何時間見ても飽きないんですよ。そこから、自分なりの天目を手なずけてみたくなったんです。」
木村さんが生涯をかけて取り組む、天目。鎌倉時代、中国の天目山からもたらされた黒褐色の茶碗が、日本で「天目茶碗」と呼ばれたのが始まりだ。当時は、“高台が小さく、口が広い”という造形的な面で差別化されていたが、現在では、その釉薬に特徴が見出されている。「天目釉」という鉄を含んだ釉薬を使った陶器の総称として、親しまれているのである。
天目釉は、含まれている鉄分が約5%であめ色に、7%前後からは飽和した鉄分が結晶化する。結晶化の妙は、あたかも文様が描かれているような演出をし、鉄とその他の含有物は、焼成によりさまざまな色彩をもたらす。だが、その美しい変化は、決して常に実現するのではなく、失敗の連続によってのみ、生み出されるという。
「描かずして、釉薬と炎だけで文様を表現するしかないから、自分の描きたい通りにするには、それはもう、失敗なしでは語れません。むしろ、失敗していかないと、道は開けないと思ってます。やっているうちに、何かつかめると・・・」
そんな失敗から完成する木村さんの天目は、制作のきっかけを作った油滴天目の再現でもなく、既存のものを模倣したものでもない。松の木肌のような模様が現れた「松樹天目」(※写真一番上)、色彩の多様さに目を奪われる「アンドロメダ」(※写真上から2番目)・・・それらは、木村さんにしか導き出すことができない、まぎれもない、彼だけの天目だ。
「自分なりの独自の天目を、新しい世界を生み出したい。それが、一生、天目やり続けたい理由でした。今も、その気持ちは持ち続けています」
私は、自分の名前を後世に残したいとは思いません。ただ、作品を残して行きたいと思っています。
あの、安宅コレクションで言いようのない感激を与えてくれた、天目茶碗。光によって千変万化するその輝きを知ったときの、感動。いつ見ても、いつまでも眺めても、飽きない。その感動を与えるのは、人ではなく、作品だと思っています。
そんな作品を生み出すことを、これからも、目標にしていきたいです。