東山区で陶芸材料の販売や顔料の製造販売を手掛ける株式会社京都イワサキ代表の岩崎勤さんは、元会長の岩崎勇三郎氏の三男として生まれた。愛知県で同じく顔料製造と窯業用原料を扱う株式会社イワサキは関連会社として岩崎さんの兄が切り盛りし、妹さんが祇園で京焼を中心とした器のお店を経営するなど、兄弟で会社の暖簾を守っている。
職住一体の環境のもとに育ってきた岩崎さんにとって、家業を手伝うことはごく自然なことだったという。もくもくと煙を出す窯場や顔料の調合に勤しむ父親の姿は、少年時代の思い出として鮮明に覚えているそうだ。
「なんとなしに父親の姿を見ていて、自然に家業を手伝っていました。公害問題が起こって、窯はなくなってしまいましたが、絵の具の加工には早くから興味を持っていましたね」そんな絵の具作りに関心を抱いていた岩崎さんが、会社を継承してから積極的に取り組んでいるのは、無鉛絵の具の開発だ。もともと本焼や上絵の具に使用される絵の具は鉛が含まれる有鉛絵の具であったが、安全面から食品衛生法が改正され、無鉛絵の具の開発が急務となっていた。岩崎さんは、今から7、8年前に京都市工業試験場に協力を求めて開発に乗り出し、改良に改良を重ねて「京無鉛和絵具」の製造販売を成功させている。
「他府県は焼成温度が800度から850度であるのに対し、京都は780度とかなり低いんです。その温度に合うような無鉛絵の具を作るのは困難でした。生地から絵の具が剥がれてしまったり、光沢が失われたり、有鉛絵の具と同じ発色と光沢に近づくまで5年ほどかかりました」京無鉛和絵具の開発が、需要にもたらした変化は現在のところそう大きくない。筆ののり具合や有鉛絵の具と寸分たがわぬ発色が実現するかどうかという点で、まだ課題は残っており、さらに「食器の内側に有鉛絵の具が使われていなければよい」「茶陶は工芸品であるため有鉛絵の具を使ってもよい」といった風に、食品衛生法の抜け道もある。しかし、大手百貨店では有鉛絵の具の食器販売を停止するなど、無鉛絵の具への声は高まっていることは事実だ。
「売行きはまだ厳しいですが、いつか無鉛絵の具へと時代は傾くと思っています。使いにくいところはこれからも改良していきたいですね」
無鉛絵の具の開発のほか、岩崎さんが心を砕くのは、顧客の求める色をいかに実現させるかだ。
「発色は窯の種類によっても左右されるので、窯元さんの窯の状態を再現して色を調合するほうが色のズレが少なくなる。そのために、店には窯を何基も用意して、窯元さんによって使い分けています。そうやって色を再現すればトラブルも少なくなりますし、何か問題が起きた時も、原因追究がしやすくなります」時間を見つけては、展覧会や作家の個展に足を運ぶことも欠かせないという。
「色を作るだけでなく、知識を蓄えることも必要です。知識があれば、お客さんの好みも探りやすくなります。お客さんの作品を見て、乾山好みやなとか、河井寛次郎に雰囲気が似ているなとか、知識の中から何かヒントを得れば、お客さんとの会話も弾みやすくなりますし、色の提案もしやすい」無限ともいえる色の種類から、顧客の希望に合う色を見つけ出していくのは至難の業だ。だからこそ、上手くマッチングした時は、やりがいを感じるという。
「食器、花瓶など形や用途によって、それに合った色というものがありますが、最終的にどの色にするか決まるまでは、何度もテストピースを作って、試作を繰り返します。そんな長い道のりのなかで、こちらの提案した色がぴったり合う瞬間は、嬉しいですね」
顔料を求めに来られるお客さんには、「こんな色が欲しい」と漠然と考えている方、「この調合の色が欲しい」と指定される方など、様々なタイプがおられます。そのなかで、多くのサンプルの中から、上手く希望をバッティングさせることが私の役割ですし、何より色の調合を考える作業は面白い仕事でもあります。京都は芸術系の大学が多く、学生さんもよく来られますので、若い彼らと陶芸について話ができるのも、楽しいですね。