「交趾陶を持つものは名声を得る」―中国の故事にこんな格言があるそうだ。艶やかな色合いと美しさに誰もが魅せられ、憧れたからだろうか。そんな美術工芸的価値のある交趾を一筋に追求し、茶道界で「交趾の翠嵐工房」として聞こえる、翠嵐工房の中村一成さんを訪ねた。
中村さんは兄で二代目翠嵐氏とともに、工房を盛りたててきた。
「兄弟二人で力を合わせれば、2つの力が、3にも4にもなる可能性がある。兄弟で頑張ってこれたのが、良かったと思います」
父親は、元々上絵付けの職人だったという。独立して翠嵐工房を始めるが、あくまで工程の一部分を担う職人であるため、自らの工房名が入った作品を作ることはなかった。 中村さん兄弟はそんな父親の姿を見て、「何とか翠嵐工房の名前を世に出したい」と、奮闘した。父親が力を注いできた交趾釉を引き継いで、成形から絵付けまで、全ての工程を工房で制作する技術力を身に付けたのだ。
「最初は、交趾だけでなく、色絵、染付といった風に様々な技法のものを作っていこうかと考えましたが、交趾を作られる方があまりおられなかったことから、交趾一本でやることに決めました。いろんな技法に手を出せば、既に世に出ている名家の方々と競い合わなければならず、それでは勝てない。交趾専門を謳う方が私達の入り込む余地があると判断したんです」
交趾を手掛ける職人が少なかった背景に、技術の難しさがある。交趾釉は低下度焼成による温度管理が困難で、誤れば絵の具が流れ窯道具を傷めてしまうという欠点があったのだ。中村さんはそれらを克服するべく、研究を重ねた。その努力が実を結び、今では「交趾の翠嵐工房」として名が通るまでになった。
「交趾一本でやっていこうと決めた時、技術を何としても克服せなあかんと思ってましたね。頑張れば頑張るほど成果も出ましたし、交趾の作り手が少なかったという時代背景も後押ししてくれましたね」
当初は食器も中心に作っていた翠嵐工房も、現在では茶道具が中心。顧客の大半も茶陶の世界の人々だ。兄弟二人して初めて飛び込んだ世界だったが、今では家元の書き付けをもらうまでになった。年に数回ほどのペースで開く個展は、沖縄、福井、山梨以外の都道府県を網羅しているという。
「いっちん」という交趾の技法を始め、古色のように落ち着いた色合いを醸す交趾釉を開発したり、陶彫、透かし彫り、金彩といった技法を応用するなど、交趾の世界を独自で広げてきたことも工房の魅力だ。
「技術面では日々挑戦ですが、何よりも、作るということに対して、面白みを感じます。45歳の時、陶彫という新しい技術を学び始めて、10年がかりでようやく自分のものになってきたかなという私を見て、同業者の方から『あんた、この年でもえらいな』なんて言われたこともありますが、何歳になっても挑戦する姿勢は変わらないでしょう。それが形となって世に出て、売れる時が一番うれしいですからね。売れるということは、世間に評価され、認められるということですから」
翠嵐工房の多様性に富んだ作品は、中村さんが挑戦してきた軌跡でもある。そんなあくなき探求心は、これからも新たな魅力を生み出していくに違いない。
伝統といえば、「古いものを受け継ぐ」という意味に捉われがちですが、私は、画期的なものを作り出していく力が、伝統であると考えています。伝統といわれるものも、それが生まれる最初は画期的なことであったに違いありません。永く息づいている最大の理由は、いつ見てもそれが新しく画期的であるからでしょう。
そういった伝統への解釈が私のチャレンジ精神を生み出しています。常に画期的であるように、今までにない新しいものを作りだしていきたいと思います。