臼谷さんが清水焼団地協同組合事務長に就任したのは2005年のこと。長年の勤め先だった京都信用金庫を定年退職し、第二の人生を歩み始めていた矢先の誘いだった。
「もともと陶器の業界と関わりがあったわけではありませんでした。定年を迎えて半年ほど経ったときに、声をかけてもらったのですが、私自身、まだ体も健康で動けるのもあったのでやってみようと決断しました」
京都信用金庫時代では、7店舗もの新店舗創設に携わった臼谷さん。その土地にはすでに他行が進出しており、顧客も掴んでいるというなかで、いかにして顧客の心を動かすかが常の課題だったという。1日150件を回っても、最初は門前払いがほとんど。そこを通い続けて、一生懸命に働きかけていく。表面的な付き合いでは相手に見破られてしまうため、自分をさらけ出す。そうすれば、徐々に顧客も応えてくれるようになる。顧客の反応が変わる時の喜びこそ、仕事のやりがいだ。
そんな新しい土地での顧客開拓や職員とのチームワークを一から作り上げてきた経験は、組合での活動にも活かされているという。
「私の事務長としての役割は、まず組合員の意識改革を進めていくこと。誰かの指示や注文を受けてから作るという流れで生業が成り立っていたのは昔の話。今は一般の消費者が何を求め、現在の生活様式には何が相応しいのかなど市場のニーズを考えて作る時代です。にもかかわらず、清水焼団地では、古い体質を引きずって、情報収集や技術転換、情報発信が十分にできていない状態にあります。それをこちらが積極的に働きかけて意識改革を促していく。最初はうるさい人間でしかなくても、根気よく働きかけをしていけば、相手にも認めてもらえるようになります。それは、信用金庫で経験したことと同じ。誠実に接すると言うやり方は同じ、どの職種にも通じると思います」
臼谷さんの積極的な働きかけの姿勢は、組合内にとどまらない。
「事務所には、様々な企画話が集まってきます。それをできるかぎり受け入れる方向で、検討します。作家、窯元、卸業及び関連事業先で構成される組合員の誰に持ち込めば話が進むか、本当に対処できるかどうか見極めてから、最終判断をします」
たとえば、2009年の「京都・やましな観光ウィーク」では、山科区役所の要請に応じ、紅葉のライトアップを行った勧修寺で、清水焼の『陶灯路』(灯りイベント)を実施。併せて行われた講演会で渡された記念品の清水焼の人形が商品化の運びとなり、「高藤・列子(たまこ)人形」として、事務所と勧修寺で販売されることになった。
「自分から打って出て様々な挑戦をしないといけない」と、臼谷さんは語る。工芸館の運営や陶器まつりの開催だけではなく、様々な活動に関与していくことで輪が広がる。そこでつながりができ、清水焼団地の発展へ還元されることが大いにあるからだ。
「壁がないわけではない。でも、壁にまず当たらないと、それが簡単に乗り越えられる壁か難しいかどうかわからない。とりあえず当たってみましょうと、働きかけています。事務所が情報発信の場として役立って、結果的に清水焼団地の繁栄につながっていけばいいと思います」
清水焼の作品は、文化度が高く、丁寧な作りこみや口当たりの良さなど、手作りの技術に裏打ちされた心遣いが特徴です。しかしながら、今はそれだけで売れるような時代ではありません。技術を高める努力は続けながら、自ら情報発信もし、他分野の情報や技術を積極的に取り込んでいく努力も必要だと思います。団地が誕生して50年を迎えようとする今、組合がそんな新しい視点で活動できるようなサポートをしていきたいと思います。