KIYOMIZUYAKI no SATO OVERVIEW 京焼・清水焼について

京焼・清水焼の歴史

はじまりは平安京時代以前、
平安京の造営と同時に本格的に焼き物作りが行われた。
以来、京都は優れた陶工と名品を次々に輩出している。
17世紀には仁清(にんせい)や乾山(けんざん)という
名陶工が現われ、19世紀には、頴川(えいせん)が
磁器の焼成に成功し、加えて木米(もくべい)、
保全(ほぜん)、仁阿弥(にんあみ)等の
名工らが活躍した。
明治時代に入り、ドイツの工芸家ワグネルを
招いたことを機に、諸外国の技術が取り入れられ、
更に発展していった。
京焼・清水焼は、伝統を重視した繊細、優麗、巧緻な器と、
現在の暮らしに潤いを与えるにふさわしい
斬新な器とが共存し、
それぞれが独特の雰囲気を保っている。

京焼・清水焼の特色、特徴

特色

京都における陶磁器生産のはじまりは、平安京の造営にともなう瓦生産です。その後、1605年慶長年間の茶会記「宗湛日記」に「京ヤキ」という言葉が出てきます。都の近傍という立地を活かし、貴族、公家、各藩邸の日用品、茶道具を生産する為1624年に瀬戸の焼物師、三文字屋九右衛門が粟田口に窯を築きます。京都の陶磁器は他の産地とは違い藩が生産を管理し、統一した基準で生産するのではなく、様々な注文に応じ多様な陶磁器を作る為につくられた地産地消の窯業地です。

特徴

江戸時代には野々村仁清、尾形乾山、奥田頴川、青木木米、仁阿弥道八、永楽保全などの名工たちが活躍し、他産地の指導にも尽力します。
京都では華やかな色絵付陶器や、磁器生産をはじめ、染付、赤絵、白磁、青磁、金襴手などの幅広い製陶技術を駆使した陶磁器が作られました。
そして、都の人々が好む、時代を先取りする雅で多様な陶磁器を作り出していく風土が育まれ、京焼の特徴として次第に定着しました。

陶器、磁器の製造工程

京焼・清水焼は、どうやって作られるのか
「京焼・清水焼」は、京都で作られている焼き物で、時代時代の新しい文化・技術を取り入れながら発展してきました。そのため、素材となる土の種類、作られる器の形、陶器表面につやを出す釉薬の種類や器への絵付けのありなしなど、形も作風も非常に多彩です。作り方も作家・工房ごとに細かな違いが多数あります。ここでは、「京焼・清水焼」の代表的な作り方の大きな流れを紹介します。