藍、黄、赤、緑・・・井上顔料の店内には、色とりどりの顔料や小道具が整然と並ぶ。注文を聞くと、三代目の雅雄さんはどんなものであれ、ほんの数十秒で探し出す。今では懐かしい“文房具やのおじさん”を思い起こさせる。
雅雄さんは、戦争の混乱の中、お店が開店休業状態だった時に小学生でした。戦後すぐに再開するも、顔料メーカーの工場が復活するのを待たねばならず、しばらくは店の在庫を売るに留まる。人出もなく、父の市太郎さんが一人お店を切り盛りしていた。当時、高校1年生になっていた雅雄さんは、店を手伝うために中退を決意する。定時制高校に入学し、日中は仕事、夜は学校という二重生活に切り替えたのだ。
「仕方ないなあという思いがありましたね。親父もかなり苦しいときでしたから、助けなければならない。でも、しんどいと思うことはなかったですね。」
大学に入学しても、そんな生活を続けていた。毎月3日連続で、名古屋方面に出張に行き、注文を聞きに回った。名古屋の駅前で自転車を借り、3日間で30軒を回った日々も今となっては懐かしい思い出だ。
父親からお店を引き継いだのは、29歳の頃。徐々に、戦後の復興が形になり、お店も起動に乗りかけていた頃だ。殆どの仕事をこなせていた雅雄さんには、会社の柱になることに戸惑いもなかったという。
「小さい頃から仕事を見てきましたからね。父親は、聞けば話はしてくれるけど、見て覚えろという感じでした。」
顔料、陶芸、人形、彫刻用材料、筆、刷毛など、井上顔料にはあらゆる材料が揃う。扇子、人形など京都の伝統産業だけでなく、初心者から作家まで、全国に需要があるのは、“品揃えのよさ”に加え、“きめ細かな対応”が際立っているからだろう。
「“こういうものが欲しい”とお客さんが相談に来られる場合も多いですね。希望どおりの品を用意しますが、まずサンプルをお客さんに渡して確認してもらいます。」
ファッション業界と違って色の流行こそ無いそうだが、時代の流れと共に、求められる材料は変わる。例えば、彫刻関係。FRP用ポリエステル樹脂が、高度経済成長期から売れるようになったという。期を逃さず、いち早く材料を仕入れることも大切だ。
「なかなか探すのは難しい。ただ、次何がくるかを常に意識することでしょう。模索し続けることが大事ですね。」
かつて、海外輸出向けの陶器が売れた時代がありました。京都にも貿易会社がたくさんあったのですが、円高の影響でぱったりなくなりました。今は、海外から安い品物が大量に輸入されています。日本で作れば焼成代にしかならないような値段で、売られています。その影響で、あらゆる伝統産業が大打撃を受け、縮小せざるを得ない状況です。材料屋としての立場も、その煽りを受けざるを得ません。
そんな時代だからこそ、次なる材料をいかに見つけるかは、賭けでもあります。主流になる前に取り扱うかどうか、注文が入るかはわからないのですから。しかし、そういう目を持つことに意味があると思っています。この仕事は、一生勉強、ということですね。