呼吸し続ける活火山の雄大な地形に恵まれた、九州は霧島山のふもとに生まれ育った山下宣年さん。林材業を営む父親のもと、少年時代から日本一のモミを見てきたという自負がある。
「九州は良質なモミが取れる産地で有名。品質は世界一かもしれません。小さい頃から、原木が取れたといえばそれを馬車で運ぶ道を作るために、鍬を持って山に入り、父の指揮の下で、道を作りにいきました。みんな昔はそうして手伝ったものです。」
山下さんが京都へ渡るきっかけとなったのは、京都での化粧木箱用のモミ需要が急増したことにある。高度経済成長期、引き出物として陶磁器が珍重され、それに伴い木箱材料の需要も増加。大量生産、大量消費の時代へと突入してきた矢先、小島木箱さんから(※清水焼団地探訪バックナンバー「美術木箱小島 二代目小島登」さん参照)、「京都へ来ないか」という声がかかった。高品質のモミの産地である九州と、上質な木箱を制作する京都を蜜につなぐため、山下さんに白羽の矢が立ったのだ。
「“すぐに京都へ行け”と父親から命令がありまして、その次の日には京都に着いていました。京都の職人さんは本当にいい素材しか使わない。この材が良い、悪いなど職人さんに聞いたら分かるというのがある。アドバイスは厳しかったですけど、ずいぶん勉強になりました。」
昭和39年には、第一栄材株式会社を創業し、化粧木箱材料卸として京都での足場を確立した山下さん。
昭和40年から60年に最盛期を迎えたものの、以後は、バブルが弾け、木箱材料の需要が縮小。内地材も底を尽きかけ、最高品質の木材は保存のために国有化され、手を出せなくなってしまう。
現在、山下さんの取り扱う木材のうち、内地材は5パーセント程度。9割強がアラスカ、カナダ、アメリカ、中国など、モミや桐を中心とした外地材に頼っているという。
「これ以上、内地材を採ることは出来ないので、海外を考えないといけません。外地材を探して、中国は四川省の山奥に行ったり、インドネシアに行ったり・・。外地材が悪いということはなく、この木はいいな、という出会いがありますよ。奇跡みたいなものですが、偶然、材木やさんの木のかけらを見て、これだ!とピンと来たこともありました。」
その出会いも、実際の使い手である木箱職人がゴーサインを出してこそ実る。「良い材料であっても何でも、新しいものは職人さんに一度見てもらいますね。京都には20軒、木箱屋さんがありますけど、一軒一軒作るものも好みも違う。職人さんは、どういうところにどういう向きで木が立っていたか、風はどんな感じで吹くのかなど、細かく質を見分けます。そんな職人さんに対して、いかにいい材をお届けするかが根本ですね。」
よい陶器があり、よい木箱があり、よい材料がある。山下さんはその確かな目で、芸術品を支え続けている。
よく「割り箸はもったいない」という言葉を耳にします。実際は、建築材で残った捨て材をお箸にしているだけですので、有効利用のひとつ。廃材を使うという目的が、資源の無駄遣いという誤解を生んでいることは、木を扱うものにとって残念でなりません。
木を使うことなしに、日本の文化は創れません。「木陰」「木漏れ日」という言葉がありますように、日本人はもともと、山、川、木のもとで生きてきました。使えば使うほど味わいがある木を、これからも大切に探していきたいですね。(山下さん)
「幾百年 越たると思う木々すべて 高山なれば 枝は地をはう」これはふるさと南九州霧島山を見ての想いです。悠久の年月、風雪に耐え、数百年の年輪をきざんで育った木々との出合いは、私の人生にとって幸せであり、又今日からが始まりです。願わくば、木材資源の有効利用もさる事ながら、山紫水明、緑したたる美しい森林の育成、国土の緑化、これらを後世に残さねばならぬと、想い念じて居ります。これが材料をあつかう者にとって使命であると思います。(専務馬場義忠さん)