清水焼の郷探訪

「清水焼の郷探訪」は2005年頃から2010年頃までに外部記者が取材された内容をまとめたものです。日時や名称など現状と異なる点もございます。予めご了承ください。

第46回

“花を生けてこその花器”を貫きながら独自の形を求める

大津寄花堂さん

  • 1948年 京都で生まれる。
  • 1969年 京都府立陶工高等技術専門校、京都市工業試験場卒業後、父親の二代花堂に師事。
  • 1995年 三代花堂を継ぐ。

京都市山科区川田御出町32-16
TEL/ FAX:075-592-2406
http://www.kadou.com/utuwa/
※(オンラインショップ・花器陶芸教室あり)
※(1/1~1/3を除く)

志 ambitions

 花器を専門に作り続けて、三代。現当主、大津寄花堂さんの祖父にあたる初代は、明治時代末期に生まれ故郷の岡山から京都にのぼり、趣味から始めた陶芸がそのまま本職となったという異色の経歴がある。最初は食器を中心に作陶をしていたが、昭和の始め頃に草月流いけばなを創始した気鋭の勅使河原蒼風氏と出会ってから、二代目とともに花器を作るようになった。新しくいけばなの器を求めていた勅使河原氏の展覧会に足を運んでは花器を研究し、試作をしては勅使河原氏に指導を仰ぐという日々を繰り返し、そうした中で、従来の器の形とは違う、斬新な大津寄花堂の花器が生まれ、多くの流派で使われるようになった。 二代目からは、花器のみを制作。
三代目の花堂さんというと、「流れのままに」この世界に入ったと話す。
「生まれた時から継ぐ決意があったとか、そんな大層な考えではなくて、流れのまんまですね。工業高校の窯業科に進学したときも学校の先生の勧めがあって選びましたし、高校卒業後の進路を決める時も勉強が嫌いだったので、訓練校、工業試験場に進んだというのがある。それから家業に入ったというだけです。ただ、そもそも花器づくりというのが家の仕事という意識があったのかもしれません。そういう風に思ってたから、自然と自分も花器を制作するようになったんでしょうね」  

技 skills

「他にない形を」というのが、大津寄さんの作陶のテーマだ。
「華道は数えきれないほど多くの流派がありますが、紹介や評判でお客さんが増えていく世界です。花器に型はないので、常に独特のものを生み出さないとお客さんには使ってはもらえません。初代が独特の形を追及してきましたから、私も初代、先代とは違う形をめざしています」形を追求するなかにも、花を生けるための花ありきの花器であることは念頭におかなければならない。
「あくまで花器ですから、花を生けられる方に楽しんでもらえるような品物を作らないといけません。花を生けてこそ完成するものでありながら、形に独自性のあるものをバランスよく作らないと、私が作る意味がないんです」大津寄さん自身、様々な流派の花展に足を運ぶことも勉強の一つだ。その積み重ねが大津寄さんのいう「他にない形」を生み出していく。
「花展に行って、自分の花器を使っている作品に出会えれば、こんなに嬉しいことはないです。花展で使ってもらえるというのは、本当に気に入ってもらっている証拠。綺麗に生けてもらった花器を見るのが一番ですね」

声 voices

かつては習い事といえば茶道と華道でした。今は趣味の世界が多くあり、華道を習う方は少なくなってきましたが、家に花があることの良さを感じてもらうために、生け手が楽しめるような花器を独自の形で表現することをめざして作っています。「こんな風に活けたら面白いだろう」「この花にはこの花器が似合うな」と想像してもらうような花器が私にとって一番いい花器です。使い方は、生け手次第。自由に生けられる楽しさを味わってもらえればいいですね。

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