「自分はどんな人形を作りたくて、どんな人形を作ればええんやろう。継いでからは、そんな葛藤ばっかりで、なかなか前に進めませんでした。」
物心ついたときから周りにあったのが人形だった。家は大正10年創業の人形製造専門店。父は御所人形を専門に作る人形師。自分が店も技も引き継ぐことは、自然なことで抵抗もなかった。高校を卒業し、博多へ4年間の修行後、三代目人形師平安錦染として雅号を継承。約束された道にいざ乗ろうとすると、急に動けなくなった。
「“人形の藤原”の人形を作らなあかんと思いながら、自分らしさって何やろうって考えて…。かといって先代が培ってきた信頼を失くすことが怖くて、自分は自分やと突っ走ることもできずにいました」
迷いや気負いが消えたのは、実に10年の月日を経てのことだ。
「諦めんと、作り続けていたのがよかったのでしょう。雛人形や五月人形など、新しい分野も始め、少しずつ作ることを体で覚えるようになって。父の専門だった御所人形は、最後まで踏み出せずにいましたが、それも、いつのまにか肩の力が抜け、作れるようになったんです」
“自分らしさ”とは、悩むものでも考えるものでもない。作り続けることで自然と形となって、出てくるものなのだろう。
藤原さんの場合は、人形たちの「表情」に、現れている。人形たちは、穏やかに、藤原さんらしさを語ってくれる。
例えば、御所人形。三頭身で白肌、裸で両性的な幼児という特徴の人形に、藤原さんは、男の子、女の子の表情を作る。
「どんな人形にも表情を与えたい。それぞれの顔を持つことで、一体一体が命をもち、生きてくる気がします。」
創作人形もそうだ。柔らかくおおらかな雰囲気に、思わず心が和んでくる。
「普段はデザイン以外、職人さんの手を借りますが、創作人形はすべて自分で作れるんです。特に、面白いという。そのときそのとき、感性に任せて作ることができるので、面白い。出かけた先ですれ違った女性の笑顔や、仏像とか…夜、誰もいない工房で一人考えるんです」
人形というと、お祝いや贈答用の品という印象が強かったり、お雛様や、五月人形という、節句ものというイメージがあるかもしれません。
けれど、最近は、「そばにおいておきたい、自分のものとして買いたい」として人形を求める方が増えてきました。近くでいつも励ましてくれたり、心癒してくれる存在として人形があるなら、私は大量生産ではなく、一体一体気持ちを込めて作っていきたいと思います。その方にとっては一生の出会いだと感じながら、心が安らぐような人形作りを続けていきたいと思っています。